脳梗塞 後遺症 寝たきり ── それでも、ひとは生きていける

脳梗塞 後遺症 寝たきり

脳梗塞 後遺症 寝たきり 脳梗塞で倒れたのは、ちょうど80歳を迎えた春のことだった。
朝、布団から起き上がろうとしたその瞬間──右半身にまったく力が入らなかった。

「どうして動かないんだろう」
そう戸惑いながらも、最初は現実をうまく受け止めきれなかった。けれど、時間が経つにつれて、不安と恐怖がじわじわと押し寄せてきた。

すでに妻は数年前に他界しており、自分ひとりで電話までたどり着くこともできなかった。助けを求めようにも、その手段すらなかったのだ。
それでも──数時間後、たまたま様子を見に来てくれたヘルパーさんが、倒れていた私を見つけてくれた。

そのまま救急搬送され、なんとか命は助かった。
けれど、目を覚ましたときには、すでに病院のベッドの上だった。

そして、それから一度も、自分の足で立っていない。


「いよいよ、こうなるときが来たか」と思った。
けれど、それは決して覚悟ではなかった。ただ、どこか諦めに似た無力感が、静かに心を覆っていった。

右手が、まったく動かない。
当然、食事も排泄も、自力ではどうにもならず、すべて誰かの手を借りるしかない。
さらに、日によっては言葉すらうまく出てこないこともあった。

こうして少しずつ、“自分”が崩れていく感覚──
それはまるで、人間であることを剥がされていくような絶望だった。

寝たきりになってからというもの、時間はやたらと長く、そして残酷になった。
昼間はテレビがついているから、少しは気が紛れる。だが、夜は違う。天井のシミを見つめながら、ふとした拍子に、若い頃のことが浮かんでくる。

なぜあのとき、あんな言い方をしたんだろう。
どうして、あいつに謝らなかったんだろう。
あのとき家族を抱きしめていれば、今ごろ一緒に笑っていられただろうか──

動けないと、人は記憶の中をぐるぐる歩き回る。逃げ場はない。体が止まれば、心だけが動くようになる。

実は、倒れる前も孤独だった。
子どもたちとは何年も連絡を取っていなかったし、近所付き合いも疎遠だった。
それでも、自分で動けていたころは、なんとなく“自分の人生”としてやり過ごせていた。

けれど今は違う。
助けられないと、生きていけないという現実が、心をむき出しにする。

脳梗塞 後遺症 寝たきり それでも救いはある。

そんな日々のなかで、唯一の救いは、訪問で来てくれる人たちだった。

病院に行かなくても、訪問看護師が来てくれる。
週に数回、医師も往診に来てくれて、薬の調整や体調の確認をしてくれる。
食事や排泄、清潔のケアなど、衣食住のすべてを支えてくれているのが訪問看護の人たちだ。
最初は恥ずかしさと情けなさで顔も見られなかったが、今では「今日もありがとう」と言えるようになった。

さらに、訪問マッサージの先生が来てくれるようになってから、少しだけ気持ちが変わった。
右側は動かないが、左半身や関節は、しっかり動かしてもらうだけで血の巡りが違う。
会話をしながら、丁寧に身体をさすってくれるその時間だけは、“人として扱われている”と感じられる。

何もできなくなったわけじゃない。支えられて、生きている。
それを恥ずかしいとは、もう思わない。

過去の後悔も、動かない身体も、今さら変えることはできない。
けれど、いま目の前にいる人たちに感謝することは、できる。

「ありがとう」が、やっと言えるようになった80代。
それが、もう一度“生きている”と言える理由かもしれない。


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